ななころび記

趣味、生活、出産子育ての日記

父親とどんどん合わなくなっていく…

GWを使って父の住む長野へ。車を買ってテンションの上がっている夫の遠出したい欲を満たすためでもあるけれど、一人で山で暮らしている父が元気か気になるというのももちろんあり。

妊娠9ヶ月に入ったところなので、車で座っているだけでもちょっと苦しいな。幸い逆子ではないらしく、胎動はみぞおちのあたりへの激しいキックが続いています。

 

父は相変わらずほどほどに元気で、山の中の木造りの家で犬猫と一緒に生活しながら、孫が生まれることを考慮して庭を綺麗にしたり、納屋の中を片付けたりしていた。

それは良い。活力があるのは良いのだけど。

最近は政治問題に傾倒していて、その関心の持ち方が随分行き過ぎているように娘には感じられます。

ニュースをいろんな角度から見ているというよりは、ある一部の方向からしか語らない。常に安倍支持。そういう話になると野党や中国韓国などをかなり口汚く罵る。普段穏やかなだけに、怖いです。

天皇を敬うのは良いと思うけれど、皇紀2600年がどうとか、男系が長く続いていることが素晴らしいとか。フェイクニュースがけしからんと思うのはもっともだけど、その反論として出してくる「タバコと肺がんは関係ない」とか「塩分の取りすぎがいけないというのは根拠がない」とか、そちらの方はもっと検証が必要なのでは…(そちらの方がもしかしたらフェイクニュースかもしれないと疑わなくていいのか?)という気持ちになり、娘はだんだん暗澹たる気分になります。

 

こういった「本人は意義があると思っているただの趣味」は普段だったら好きにやっているのがいいかなと思います。以前父がスピリチュアル(前世系)にハマってたくさん本を読んでいた時、どこかに入信したり高価なものを買わされたり知り合いに熱心に勧めたりしない限りは何も反論しませんでした。頭から否定することもせず、何冊か本を読んだりしました。そのうちに2、3年で飽きたのか、本が増えるのは止まりました。

でも今回はかなりきつい。

どんな会話からも「そちら側」につなげようとしてくるし、無知な私たちに教えてあげなくてはと信念のようなものも感じられます。日本がどれだけ素晴らしいか、日本人がどれだけ優れているかを、いまいち納得しづらい論理で語るのです。

でも父は全く優れてなんていないんです。特に家庭人として。確かに私にはそれなりに優しくしてくれて構ってはくれましたが、兄に対して、母に対して、無関心もいいところでした。母が相談したり気持ちをぶつけた時にはそれはもう面倒臭そうにしていました。結婚生活後半にはもうほとんど口を聞かなかった。母のヒステリーは、本人の性格の問題もなくはないだろうけど、多くは夫のせいもあったと思います。

そういうところを突かれると、「男というのはそういうもので」と類人猿の例を持ち出したり。でも時々「うちの親父も子供に無関心だった」と言っている。答えはわかってるじゃないか! あなたが向き合うべきなのは社会とか民族よりも、自分が本当は恨みながらも表面上は認めずにいる幼少時のことだよ!

それをなんとかしない限り、大きな拠り所を探して、スピリチュアルとか民族とか、大きな物語に頼って、自分を保とうとし続けるんだと思います。

 

あんなに子育てに無関心だったのに、孫はまだかと言い続け、まだ生まれていないのに第二子はどうするの?と聞くその心は…。一つには2人以上産まないと日本が縮小するばかりだからでしょう。うちは不妊治療をしているからそう簡単にはできないのに。

そしてもう一つの理由は、自分がうまくこなしてこれなかった家庭問題を払拭したいのかもしれません。共働きに戻るならぜひ山に子供を預ければいいと言います。

植物のことやストーブの使い方なんかを教えてくれるのならいいのですが、多分教えるのは戦後史や皇室史でしょう。

そんなの困ります。目下悩みの種です。

 

 

 

家族について

友人たちと二泊三日で旅行に行ってきました。

春の長崎の晴れ空の下、美味いものを食べ、美しい景色を見て、自由を謳歌してきました。もう7ヶ月(27週)なので身軽には動けなかったものの、気を使ってもらいながら旅行を満喫しました。

食事中、家族の話になったとき、みんなそれぞれにままならない事情を抱えているのが分かりました。特に母親との距離感というのは難しい。同性だからこその問題というのがあるのかも。

私は既に一人暮らしを経た上での、現在夫との二人暮らし。実親や兄弟と住んでいたのは遠い昔のことのよう。だけどいまだに自分の負の面の多くを占めていることにふとしたきっかけで気づきます。それゆえ、その旅行での会話中にも自分の家族のことを過ぎたこととしてさらりと話すことができなくて、帰ってきた今もしこりのように反芻してしまっています。

 

母親は真面目で人付き合いが下手で、優しいけど怒ると噴火したように手がつけられなくなる人だった。若くして結婚して21歳で兄を出産。26歳で私を産んだ。

ちゃんとしなくてはいけないという気持ちが強すぎて、しつけの一環でよく怒鳴って、手を上げて、裸でベランダに出したりもしていた。

嫌だった体験を思い出すと、ピアノの練習中に横で見ていて間違えると怒られて手を叩かれる、朝食中に算数の問題を出されて解かされる、部活の先輩が厳しいと母に愚痴ったことで母がその先輩宅に電話をかけて改めさせようとする、などなど。

まあ、ちょっと困るけど、やばいほど逸脱しているというわけでもない、ギリギリ普通の範囲内の母。

彼女自身が辛い幼少時を過ごして、実の父もよく知らず、母親にもかまわれずに、転校を重ねていじめられて、出来の良い妹と比べられ、逃げるように飛び込んだ結婚だったと思うので、その中で頑張って育ててくれたんだよなと今では同情するような気持ちもあります。

 

父親は一見穏やかで優しく見えるけど、実際はかなり他人の気持ちに疎く、表面的な付き合いしかできない人。それを自分の心のクセのせいだと多分気づいておらず、相手のせいだったり、相手との相性のせいだと思っている。

母親もこんな無関心な人とでなければもう少しヒステリックを抑えて、穏やかになれたかもしれないけど、如何せん他人を見る目が養われるような環境ではなかった。

ちなみに父も早くに両親が離婚し、実の母と父の間を行き来させられ、両親ともに思いやりの欠ける人だったようなので、さもありなんという気はします。

 

そんなこんなで、過干渉な母親と無関心な父親の元、大人同士の思いやりのある会話のない環境で育った私と兄は、一応は身を寄せ合って仲良くしてきた。

けれど思春期の様々な問題の中でついに歪みが表面化して、兄は私をいじめの対象にしてしまい、信頼は裏切られてしまったわけです。

 

その問題が発生してから、私が17歳の頃母が別居し、兄が職場の近くで一人暮らしをするまでの4年間、辛いことだらけだった。でもすっかり精神が視野狭窄になていて、そういったことたちが自分にどういう影響を与えているのか、何が原因でこの問題に至ったのか、全然分析することができなかった。とにかく家族がバラバラになってようやく、安心することができました。

 

しかし自由になっても、問題が消えたわけじゃない。友人にすら心を開くことができず、誰のことも信頼していなくて、本当の思いやりなんて持ちようもなく、心からの感謝や愛情の意味もさっぱりわからず。

とにかく他人と同じように普通になりたい一心から、見よう見まねの生き方をしていたような気がします。たいていの男性とはお付き合いしても何ヶ月かでダメになってしまっていました。心から楽しいと思える瞬間がないから、結局消耗して、もういいやと諦めてしまう。好きになるってなんだろう、と。

 

自分の転機とは……と振り返ると、仕事かな、と思います。

偶然運よくつくことができたデザインの仕事で、右も左もわからず、上司からも持て余されて、最初は辛かった。けれど少しずつ成長し、努力して、なんとか一人前と言えるレベルになった。収入よりも信頼と、それに伴う自己肯定感が、どれだけ自分を人間にしてくれただろう。自分を認めてもらうことで、ようやく自分の欠点を含めて他人にさらけ出すことができるようになったんだと思います。そして、他人のことも、そのままに受け入れることができるようになったのだと。

 

夫とは仕事を始めて6年目くらいに出会いました。初めは、私のことをよく知らずにやけに懐いてくるこの若い(3つ年下)男性を、どうしたものかと持て余していました。優しいけど若さのせいか尊大なところが鼻につくし、こちらをあまり気遣わない自己アピールの強さも苦手でした。

でもだんだんに、それは私のコンプレックスの裏返しなような気もしてきました。

私が信頼しなさすぎる。私が自分を見せなさすぎる。そういうことに気づかせてくれた気がします。ある時、家族の問題に加え、兄との摩擦について初めて話してボロボロに泣いた後、ゆっくりとではありますが関係を確固たるものにすることができていきました。

今までの人間関係の中では築いてこれなかった、信頼とか、安心とか、思いやりとか、ようやく得ることができたのかなと思います。

 

今の私の人生の目標は、自分の子どもが自分や友人を大切にできるような自己肯定感の強い子に育ててあげることです。もちろん困難だらけの子育ての中で叱りつけたり、穏やかでいられない時もあるでしょうが、愛しているということを伝え、両親が協力したりちゃんと互いの意見を尊重する姿を見せ、基本的な信頼感を育んであげたいと考えています。

 

 

不妊治療について

覚書までに。

結婚して避妊をやめてから1年経った頃に最初に婦人科を訪ねて、排卵タイミングを見てもらったり血液検査をしました。

ポリープが見つかって手術で取ったりしたけれど、その後また1年経っても妊娠はしなかったので、他にもっと決定的な原因があるのかなあとぼんやり思ってたのです。

結婚して3年、引越しをしたタイミングで、男性不妊の検査や高度不妊治療のできるクリニックに移りました。そこにようやく夫と一緒に行って、男性不妊が見つかりました。

夫は一度も通院を渋ることはなく協力的だったけど、さすがに突然の不妊治療(私はもう2年通院していたので『不妊』を実感していたけれど『不妊治療』という言葉は使わなかったので、夫は突然に感じたと思う)と、原因が自分にあるということをすんなり受け入れることはできなかったみたい。

「今仕事のストレスがすごいから」「今朝は出した時の感覚がいまいち勢いがなかった」と、検査の数値が通常の自分とは違うのだと、自分自身に言い聞かせようとしていました。

ずっと原因を探して通院していた私からすると、正直がっくり来たというか。何が原因でこういう数値が出たかは、検査からはわからない。先天的なものか、環境や健康状態に左右されたものなのか。でもようやく次のステップに進まなくてはいけないことがわかったのだから、せめて検査結果そのままを受け止めて欲しいな、と。私はずっと自分に原因があるのではと思っていて、それがそうではなかったということが分かっただけで、別に夫を責める気持ちなんて全然ない。

兎にも角にも、男性不妊の場合、原因を突き止めるのは難しく、漢方などで治療をしても結果が出るのが(もしくは出ないと分かるのが)3ヶ月以上先。

ということで体外受精のステップに進むことにしました。

 

その頃は先行きの見えなさと、治療と仕事を両立することのストレスと、金銭的な不安とで、よく泣いていたなあ。何より、子供を持つことができないのかもと思うと、びっくりするほど涙が出ました。私にとって、それはそんなに悲しいことなの?と、客観視して内心びっくりしてました。

体外受精の治療に移行する前に、私の通っていたクリニックでは必ず院長先生の説明会を受けなくてはいけなかったのだけど、これは素晴らしく有意義でした。早口だけど聞き取りやすい先生の説明によって、治療の方法、なぜその方法をとるのか、金額などについて、通り一辺倒ではなく確率などのデータをふんだんに使って理解できました。

不謹慎な話ですが、その説明を聞きながら思ったのは、「あ、ポーカーみたい…」と。

かすっただけの趣味ですが、一時期ポーカーをやっていました。あれは当然運だけのゲームではなくて、確率を計算しながら伸るか反るかの判断を正確にやることによって勝敗が決まるブレインスポーツです。勝率を上げるためにたくさんベットして賭けることはできるけど、賭けすぎると負けた時に失うチップが多い。

体外受精も、一通りのコース以外に、例えば顕微授精(精子卵子にふりかけるのではなく、一匹選んで中に入れちゃう)や、SEET法(受精卵の培養液を移植三日前にあらかじめ子宮内に入れておく)など、たくさんベットすることで確率を上げることはできるんだけど、その分どんどん費用が膨らんでいくわけで…。

でもやると決めたからには、いろんなデータを集めて判断基準をちゃんと持って、一番確率を高めるやり方で頑張ろうと決めました。

 

最終的には二度目の移植で授かることができました。これは多分、とてもスムーズにいった方だと思います。でも二度目で出来た、と言葉にしてしまうのと、実際の治療中の感情のままならなさはすごい距離の開きがあります。

最初の移植の予定が薬の効きのせいで流れてしまった時、一度目の移植で陰性だった時、オープンにして話していた職場で上司のなんの悪気のない一言に傷ついた時、助成金が下りないという話を友人にしたら「金持ちだからよかったね」と言われた時(単に共働きなだけなのに…)。たくさん泣いて、夫に話を聞いてもらいました。

例の説明会によって治療について具体的に、現実的に考えることができるようになったようで、夫もかなり前向きになっており、泣きついた時にもとても頼りになる言葉をくれて受け止めてくれました。本当に、あの説明会は助かった…。

初めて検査薬で二重線を見たときは信じられないような、頭にすうっと風が吹くような感じがしましたよ。おお…私も家庭を、子どものいる家庭を持つことができるのか、と。12週過ぎるまでは気が気でなかったですが、今は腹で騒ぐ我が子を楽しく見守っています。

 

なかなか子どもを授からなかったこと、不妊治療を経たことで、なぜ子どもを持ちたいと思うのかを改めて考えることが多くなりました。

今まであまり直視してこなかった自分の子どもの頃のことをよく思い出すようになったし、親から受け継いだものが子どもにどう影響するのか、真剣に考えるようになりました。

出産までにまたちょっと、考えを整理する時間を作りたいなと思います。

お弁当

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30年以上生きてますが、情けないことにお弁当作ったの初めてです。

以前は節約や栄養のことより、いかにストレス少なくお腹を満たして仕事の時間をとるかが優先だったので。でも近年は夫のアトピーのこともあり、夕飯は作り置きを駆使しながら自炊する習慣がついていたので、退職を機にお弁当を作りたいとは思っていたのです。

夫の分だけ作っては美味しかったのか分からないので、家にいることが多いですが私もお昼はお弁当。夫はサーモス、私は曲げわっぱにしました。

いろどりと味のバランスを考えれば、自然と栄養バランスも付いてくるだろうと思っているのですが、果たしでどうでしょう。

今のところ、夫からは毎日「おいしい」の声をもらっています。

このブログについて

はじめまして、ななころびです。

このブログは自分の生活の徒然日記として書くつもりですので、有益だったり一貫性のあるテーマのもと書かれた面白い読み物にはならないと思います。

飾らず作らず、今の考えや日々の出来事を綴っていこうと思います。

 

先月(18年2月)10年間勤めたデザイン事務所を退職しました。

理由は妊娠出産のため。

予定日は6月末なのでまだ余裕があるし、制度的にはギリギリまで働いて休職し、手当てをもらいながら早い段階で復帰を目指すことも可能だったのですが、夫との話し合いの末、出産4ヶ月前に退職することに決めました。

なぜ退職か。大きな決断って、いつもその理由をひとつの言葉では説明できません。

不妊治療と仕事の掛け持ちでこの一年はかなり消耗が激しかったからとか、乳幼児と触れ合える限られた時間を大事にしたいとか。

どれも本当だけど、人生に一度あるかないかの『自由』を得られるチャンスだから、というのが一番正直なところなのかもしれない。贅沢を言っているなぁと思うけど。

 

自分が育って来た環境や出来事を振り返り、成長する中でそれがどんな風に作用して、さらに仕事を得てどう変化していったか。

最近(特に結婚してから)そういった過去からの連綿としたつながりを意識することがとても多い。それは親やその上の世代にまで続いていくのですが。

自分にとっては大事なことなので、ゆっくり生活する中でもう一度噛み砕いて考える時間が欲しいなと思った、というのが理由のひとつです。

 

まあもう少し気軽に、趣味の読書や映画鑑賞に時間を費やしたり、あまり自信のない料理やお弁当作りに精を出したり、さらには新しい趣味に乗り出したいなと、のんびり構えていますよ。

二次創作小説をちょびちょび書いていましたが、この期間にオリジナルに挑戦してみたいな…と壮大な夢を描いております。果たして書ききれるのかなあ。